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長野地方裁判所諏訪支部 昭和32年(ワ)7号 判決

諏訪市大字上諏訪七百七十二番地

原告

木村正二郎

右訴訟代理人弁護士

千野款二

同市同大字七百七十番地の一

被告

百瀬嘉寿美

右訴訟代理人弁護士

林百郎

右訴訟復代理人弁護士

島田正雄

右当事者間の昭和三十二年(ワ)第七号建物明渡等請求訴訟事件につき、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

被告は原告に対し別紙目録記載の土地及び建物の明渡をし、且つ昭和三十二年三月二十三日から明渡のすむまで一月金三万円の割合による金員の支払をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、原告の申立

主文第一、二項と同趣旨の判決及び仮執行の宣言を求める。

第二、原告の主張

一、原告は債権者岡谷倉庫株式会社、債務者兼物件所有者訴外大槻庸資間の長野地方裁判所諏訪支部昭和三十一年(ケ)第二号抵当競売事件において、昭和三十一年四月二十三日別紙目録記載の土地及び建物以下本件土地及び本件建物という)を競落し、同年五月四日その代金を支払つて本件土地及び本件建物の所有権を取得した。

二、本件建物に被告主張のごとき賃貸借の設定登記のされたことは認めるが、被告は大槻とかねてから情交関係をもち、右の賃貸借契約を結んだ当時生活費の全部を同人から支給されて本件建物に居住していたものであつて、約定の賃料を支払う能力もなかつたから、この賃貸借契約は仮装の契約として無効である。仮に、この賃貸借契約が有効であるとしても、これは岡谷倉庫株式会社が昭和二十九年十二月三日抵根当権の設定登記をした後に締結され且つ登記のされた期間の定のない賃貸借であつて、借家法施行以後は民法第六百二条に定めた期間を超えない賃貸借ということができないから、本件建物の競落人である原告には対抗し得ないものである。かように、被告に本件建物を占有使用する権原のない以上、被告は本件建物の敷地及びこれに囲まれた鉱泉地たる本件土地をも不法に占有使用しているものといわなければならない。

よつて、原告は被告に対し本件土地及び本件建物の所有権に基づきその明渡を求める。

三、原告は木村別館の商号で旅館業を営んでおり、本件建物も旅館として使用する目的で競落したものであるが、原告が本件建物を旅館として使用すれば一月平均約六万円の利益を収め得るにもかかわらず、被告が原告からの明渡の請求に応じないために、原告はこの利益を喪失している。すなわち、本件建物は現在原告の旅館として使用している建物に隣接しており、且つ直ちに旅館の客室として使用することが可能であつて、しかも客室に適する部屋が五室あるから、一室二人ずつの客を収容すれば、合計十人の客を宿泊させることができる。そして、原告の従来の営業成績から見ると、本件建物の客室には一日平均少くとも五人の客を宿泊させ、一人当り平均八百円の宿泊料をとり、その半額が利益となるから、原告が本件建物を使用すれば一日平均二千円の利益を見込み得るのである。被告は多年本件建物に居住しているから、原告に対して本件建物の明渡をしなければこのような損害を加えることを十分知つており、仮に知らないとしても当然かような事情を知り得たはずである。なお、被告が本件建物についてなした賃貸借の登記は長野地方裁判所諏訪支部の抹消登記の嘱託及び長野地方法務局長の命令に基づき昭和三十二年三月四日抹消されている。

よつて、被告は原告所有の本件建物の不法占有による損害の賠償をする義務があるから、原告は被告に対し訴状送達の翌日の昭和三十二年三月二十三日から明渡のすむまで一月三万円の割合の範囲でその支払を求める。

第三、被告の申立

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決及び仮執行免脱の宣言を求める。

第四、被告の主張

一、原告主張の事実のうち、第一項の事実、第二項中被告が本件土地及び本件建物を占有使用していること、並びに第三項中原告が木村別館の商号で旅館業を営んでいること及び被告主張の賃貸借の登記が原告主張の日に抹消されたことは、いずれも認めるが、本件鉱泉地の所在及び右の登記が抹消された経緯は知らないし、その余の事実は否認する。

二、被告は昭和三十年四月三十日前所有者大槻庸資と本件建物について、期間を定めず、賃料一月五千円、毎月末日払の約定で賃貸借契約を結び、同年九月十三日その賃貸借の設定登記をし、引き続き本件建物に居住して来た。被告が大槻と結んだ右の賃貸借契約は本件建物の競落人である原告によつて承継されたから、被告は原告に対し本件建物を明け渡す義務がない。けだし、この賃貸借は抵当権の設定登記後に登記されたものではあるが、期間の定がないものであつて、各当事者は何時でも解約の申入によつてこれを終了させることができるから、民法第六百二条の期間を超える賃貸借には該当せず、従つて民法第三百九十五条によつて抵当権者及び競落人に対抗できるからである。この賃貸借の登記は既に抹消されてはいるが、被告は賃貸借契約締結当時本件建物の引渡を受けているから、原告に対し賃貸借をもつて対抗できる点では変りがない。

又、被告は本件建物を正当に使用できる権原を有する以上、その敷地である本件土地を正当に使用することができるのは当然であるから、被告は原告に対し本件土地を明け渡す義務もない。

第五、証拠(略)

理由

一、原告主張の第一項の事実、被告が本件土地及び本件建物を占有使用していること、原告が木村別館の商号で旅館業を営んでいること、本件建物に被告主張のごとき賃貸借の設定登記のされたこと及び右の賃貸借の登記が原告主張の日に抹消されたことは、いずれも当事者間に争がない。

二、先ず、原告主張の賃貸借契約が仮装のものであるかどうかについて考察する。

証拠を綜合すると、大槻庸資が被告と情交関係にあつたこと、同人が被告と本件建物の賃貸借契約を結んだ後もさらに原告の本件建物競落後も被告方に時々来ていたこと、被告や原告やその妻から本件建物の明渡を請求された際「大槻が本件建物を明け渡せといえば何時でも明け渡すから、大槻にも明渡の請求をして下さい、」と答えたこと。大槻が原告に対し「被告に慰藉料を支払わない限り、被告に本件建物の明渡を要求することができない、」と述べたことをいずれも認めることができるが、これらの事実のみではいまだこの賃貸借契約が仮装のものであると断定することはできない。又、これらの証人及び本人の供述中には、この賃貸借契約が仮装のものであるという原告の主張に副う供述があるが、いずれも伝聞又は供述者の単なる推測の域を出るものではないから、これを採用することができない。かえつて、証拠を綜合すると、大槻が昭和二十九年頃から経済的な余裕に乏しくなり、被告を援助することができなくなつたこと、同人がそのために被告の兄弟から被告との関係にけじめをつけるように要求されたこと、大槻がこれに応じて被告と本件建物の賃貸借契約を結び且つその登記をしたことを認めることができ、かような経緯には抵当権の実行を妨害しようとする意図がうかがえなくはないが、それ自体決して不自然なことといえないのである。

結局、被告と大槻との賃貸借契約が仮装のものであるとの原告の主張については、立証が尽されなかつたわけであるから、理由のないことに帰する。

三、次に、この賃貸借契約が原告に承継されたかどうかの争点について判断する。

大審院の判例(昭和五年六月二十三日判決・裁判例(四)民七二頁、昭和十二年七月十日判決・民集一六巻一二〇九頁等)は、抵当権の設定登記後に登記又は建物の引渡のされた期間の定のない建物の賃貸借が民法第三百九十五条に基づき抵当権者及び競落人に対抗できるか否かの点について、賃貸人が何時でも解約の申入をしてこれを終了させることができることを理由として、民法第六百二条に定める期間を超える賃貸借ということができない、と解しているが、これらはいずれも借家法第一条の二の設けられる以前の判例であり、現在ではこれを維持することができない。何故ならば、期間の定のない建物の賃貸借は同条により正当の事由がある場合でなければ解約の申入によつて終了させることができなくなつたが、同条は民法第三百九十五条に基づき競落人の承継すべき賃貸借の関係でも適用されるものと解すべきであつて、かように解約の申入に強い制限の加えられた以上、もはや期間の定のない建物の賃貸借は実質的に民法第六百二条の期間を超える長期の賃貸借と異るところがなくなつたからである。元来前記の大審院判例は、期間の定のない建物の賃貸借が何時でも解約の申入によつて終了させられるため、かかる賃貸借によつて抵当権者及び競落人に与える不利益が民法第六百二条に定める期間を超えない短期賃貸借と同一程度であることに注目し、民法第三百九十五条を期間の定のない建物の賃貸借の場合に拡張解釈したものなのである。従つて、かかる賃貸借が短期賃貸借よりも抵当権者及び競落人に不利益を与えるに至れば、かような拡張解釈を中止するのが妥当である。

以上の見解は、建物を目的とする短期賃貸借のある場合における賃借人の保護との均衡の点からみても正当である。すなわち、短期賃貸借は民法第三百九十五条但書により解除を求めることができるのみでなく、競売開始決定が債務者に送達され又は競売申立記入の登記がされた後は、合意による更新はもとより借家法第二条による法定更新も抵当権者及び競落人に対抗することができないと解されるから(大阪高等昭和三十年八月九日判決・高裁民集八巻七号四一七頁、福岡高等昭和三十一年二月二十二日判決・高裁民集九巻四号二一六頁参照)、短期賃貸借はせいぜい民法第六百二条の定める当初の期間中だけ抵当権者及び競落人に対抗できるに過ぎないのである。従つて、期間の定のない建物の賃貸借が抵当権者及び競落人に対抗できるとすれば、これに短期賃貸借よりもはるかに強い保護を与えることになるのであろう。又、民法第三百九十五条が、民法第六百二条の定める期間を超える長期の賃貸借について同条の定める期間だけ抵当権者及び競落人に対抗できるとするものではなく、全くこれらの者に対抗できないと定めていることも、併せ考慮するべきである。最後に附言すれば、抵当権設定登記後にされた間の定のない建物の賃貸借が抵当権者及び競落人に対抗できるとすれば、賃料の高額な場合を除いて解約の申入に制限のある賃貸借の設定された建物を競落する者を見出し難く、仮に競落されるとしても極めて低い価格とならざるを得ないため、建物の所有者が抵当権の実行を阻止することが容易となり、著しく抵当権の価値を滅殺する結果を招来するとともに、その反面裁判所は民法第三百九十五条但書に基づく抵当権者の解除の請求を殆ど常に認容することになるであろう。

してみれば、被告が大槻と結んだ本件建物の賃貸借契約は、その登記又は建物の引渡をあつたとしても、成立に争のない甲第一号証により契約の締結及び登記ともに岡谷倉庫株式会社の抵当権の設定登記後のものであること明白である以上、原告に対抗し得ないもの、すなわち原告の承継しないものといわなければならない。従つて、被告は所有者たる原告に対し本件建物を明け渡す義務があると共に、その敷地及び鉱泉地たる本件土地をも明け渡す義務がある(なお、被告は本件鉱泉地の所在について不知の答弁をしているが、本件ではその所在を確定する必要がない)。

四、最後に、原告の損害賠償請求の当否について考察を加える。原告が本件建物を旅館として使用する目的で競落したものであることは、証拠によつて明かである。又本件建物が現在原告の旅館として使用している建物に隣接していることは、検証の結果から認めることができる。次に、本件建物の状態を考えてみるに、検証及び鑑定人の鑑定の各結果によると、本件建物には階下に八畳二室、二階に十畳及び七畳半各一室、離れた六畳一室の合計五室の日本間があること、現在原告の旅館として使用している建物の側に本件建物の入口さえ設ければ、この両建物の敷地が隣接しているために、相互に庭伝いに往復することができること、本件建物は高級な建物であるために、直ちに旅館の客室として使用することが可能であることが明かである。しかも、原告が本件建物を旅館として使用すれば、一月平均三万円を超える利益を収める十分の可能性のあることは、前認定の事実を基礎とする右鑑定の結果によつて認めることができ、証人草間鼎の証言もこれを左右するに足りない(なお、同証人の証言中鑑定に属する部分はもとより採用することができない)。

そして、前認定のごとき本件建物に居住する被告としては、本件訴状の送達を受けたことにより、本件建物を原告に明け渡さなければ、原告が本件建物を旅館として使用することによつて得べかりし利益を喪失することを当然知り得たはずであるから、被告は原告に対し本件建物の不法占有に基づく損害の賠償として訴状送達の翌日たること記録上明かな昭和三十二年三月二十三日から明渡のすむまで一月三万円の割合による金員を支払う義務があるものといわなければならない。

五、以上の理由により原告の本訴請求は正当であるからこれを認容するが、本件のごとき困難な法律解釈の問題を伴う場合に仮執行の宣言を付するのは適当でないから、原告からのその申立を却下し、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

長野地方裁判所諏訪支部

裁判官 宮脇幸彦

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